【難易度★★★★☆】 エシカルSTORY代表の木村さんに哲学教わってみた。

【番外編】木村さんに哲学教わってみた

東京大学で哲学を学び、市役所勤務、ライター、編集業を経てエシカルメディアで起業。

異色の経歴をもつ木村洋平さんに、哲学をレクチャーいただいた。

記事難易度:★★★★☆

この記事は「番外編」です。
本編をお読みでない方はぜひそちらからご覧ください。

専務

東京大学で哲学専攻、公務員を爆速退職、編集長、メディア立上げ。
異色の経歴をもつエシカルSTORY代表の木村さん。

木村さんが命をかけて取り組まれた「哲学」に関して、中瀬に少しだけレクチャーいただきました。

2600年の歴史に終止符を

━━━━━━━木村さんが20代半ばに執筆を始め、孤独と戦いながら完成させた魂の著作『遊戯哲学博物誌』
前書きに書かれた「西洋哲学史の2600年の歴史に休息を与える」の真意を、哲学初心者の中瀬にレクチャーいただいた。

木村:東洋はまた別なんだけど、西洋の哲学はあの本で終わったのではないかと書いた後で思いました。「僕が」どうこうしたというのではなく、自然と終わったような感覚を持ちました。

中瀬:私哲学は全然分からないのですが「終わった」というのはどういうことですか。

木村:哲学は「一貫して体系的で理論的な思想が、時代ごとに出てきて、前の思想を批判的に塗り替える」という営みを繰り返してきました。前の思想が悪いという訳ではなく、そのたゆみないサイクルの中で哲学の歴史はつくられてきたんです。

ただ20世紀終わり頃から、もうこれ以上新しいところには発展しなくなったと考えています。それは、「一貫して体系的で理論的な」ものが、もう求められなくなったのではないかと感じるからです。

哲学史で具体的にいうと、デリダの「脱構築」が西洋哲学をぜんぶ解体しようというつもりでなされたと僕は考えています。ソクラテス(+プラトン)が西洋哲学の起点で、デリダが終着点という感じです。

ソクラテス

中瀬:ふむふむ。

木村:『遊戯哲学博物誌』は、デリダがぜんぶ解体したあとに「これは、どういう状況?」と聞かれて、「なにもかもが遊び戯れる、遊戯の状態ですよ」と答えた感じでしょうか。ソクラテス以前の哲学者たちの世界──タレスやヘラクレイトスらの哲学者がいた世界に戻っていくというか。

とはいえ、「哲学が終わる」なんて言っても、「人生について考える」ことはこれからもみんな続けるでしょう。そういう意味での哲学は終わりません。
ただ一貫した体系的な理論を組み立てて、そこで意見をぶつけ合うような、西洋の学問としての哲学は終わったのではないかと思うのです。

さらに言うと、20世紀末まで続いた学問の形、つまり「学術論文を書いて、知見を積み重ね、専門分化していく。ときには、領域を横断して新しいモノを生み出す」みたいな。この形式の学問が哲学と共に終わったように感じます。

中瀬:それは新しい発見がなくなったとか、そういうことですか。

木村:学問は体系的な理論や事実に基づいて法則性を見つけるというものですが、その営み自体に限界が生まれたんだと思う。

というのも、科学技術を発展させるために、学問はどんどん実利的な技術の方へ理論を持ち込んでいきすぎたから、限界に突き当たったではないかと。今は、科学の基礎研究や人文学の「すぐには役に立たない」研究があまりなされないか、政治的・社会的に無視される方向をたどっています。
実際に20世紀の間、アメリカを中心に、ただ技術を使って大量消費社会とか核爆弾とか、破壊的なことをやってきたわけじゃないですか。

中瀬:ふむ

専務

ふむ

木村:そういう光景を科学史の立場から見ていて、資本主義の損得勘定に学問も吸収されていく形で終わったんじゃないかと感じます。純粋な好奇心や知的な欲求だけで、あるかどうかも分からない真実を追い求めるみたいな、そういう学問的探究心の根本が失われてしまったのかなと。

もちろん、今でもそういう学問の営みを誠実にしている方々はいらっしゃいます。
学者さんもそうですし、講義や本で学ぶ側もそうです。ただ、そういう人たちがあまりに日の目を見ない社会になりました。自分の探究心を優先したら、生活を大きく犠牲にしたり、非常勤講師やアルバイトのような形でしか職に就けない、というような不遇な実態があります。非常勤にかぎらず、大学の正規職の学者の方々も、雑務が多くて研究がなかなかできず、苦しんでいる状況ですし…。

そういう流れの中で、学問も科学も、全部が応用と実学になっちゃったような印象を受けています。気の利いたことは言えるし、「ドイツではこうですよ」とかは言えるけど、根っこのところまで探究しようみたいな姿勢は社会的に認められなくなった。飽和しちゃった感じですね。

学問の営み

中瀬:そうなんですか。

木村:今は、知にお金をかけることが、生活や仕事の上でどうやって得をするかという、方法論ばかりの話になっちゃいましたね。本当は、方法論の手前に、ビジョンや目的を持つことや、信じるなにかを追い求めるという姿勢がないと、人間として弱くなってしまうと思う。

中瀬:過去の堆積された基礎を元にした学問だからこそ、基礎を追求しなければ、新しいものは生まれないというか。そういう感じですかね。

木村:そうですね。伝統や堆積された基礎、というのは本当にすごいです。古典と呼ばれる書物にあるような知恵や思想は。

過去の伝統や歴史を振り返るのは、エシカルやSDGsの文脈でも、大事なことですよね。例えば「江戸時代は循環社会だった」といってたくさん事例を集めている人もいます。いいですね!

過去の蓄積を振り返らず「時代の変化が早いからトレンドに追いつけばいいや」みたいなのは、いい加減に見えます。
薄っぺらくて中身もないから、深い知や学問ではなく、それをやっても仕方ないと思う。

専務

地道に知見を積み重ねて創りだす学問の形式が崩れ、もっと分かりやすい成果を出すことに主眼が向いてしまっているということかな?
木村さんは現代のあり方に不満を募らせているのでしょうか。

エシカルSTORYと哲学

中瀬:木村さんの思想は、エシカルSTORYの中でも意識されていますか。

木村:うーん、学問の話までメディアではしてこなかったです。ただ、哲学や学問にかぎらず、社会全体がぶつかっている限界をどう乗り越えていくか、エシカルSTORYでも考えてきましたし、これからも考えたいですよね。

今わりとネガティブなこと言ったけど、世の中に不平不満を言いたいわけではなくて。

世の中が大きく変わるというか、僕らでゆっくりとでも変えないと生き残れないと思ってる。
変えるっていうのはつまり新しいモノやカタチを想像し、創造するってことなんだけど、「エシカル消費」という生活の仕方でも意識して作り出していくことが大切ですね。日々、自分で考えて試してみる。

時代の変化

それに、古いものが終わったと頭に入れておかないと、新しいものをつくるときに古いもの引きずってしまう。伝統や歴史を振り返って、よく理解するのは大事なんだけど、同じことを今やろうとしても時代が違うし状況も違うので、振り返りながらも全く新しいモノをつくろうというぐらいの心構えがいるのかなと。

そういう意味で僕はポジティブに考えたいと思ってる。

エシカルに関するトピックはたくさんあると思うけど、「こういう生き方はどうですか」と提案したり、誰かがやってることを紹介するとか、そうやって「生き方やライフスタイルを共有していくこと」はすごく意味があると思う。

もしかしたら、ヴィーガンや自然農法などの話をくわしく書いても、「いや、マイナーじゃん」とか「トレンドにならなくない?」と思われるかもしれないけど、そういう種をまき続けないと新しい時代はつくっていけない。それをつくっていきたい。

専務

懐古主義というわけではなく、時代にあわせて新しいモノを創りだすのが大事だと考えているんだね。哲学者だった木村さんがなぜエシカルメディアを始めたのか、少しつながった気がします。

木村さんの本編記事もぜひご覧ください

【波瀾万丈】 エシカルSTORY代表木村洋平にインタビューした。前編
【波瀾万丈】 エシカルSTORY代表木村洋平にインタビューした。中編
【波瀾万丈】 エシカルSTORY代表木村洋平にインタビューした。後編

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