【波瀾万丈】 エシカルSTORY代表木村洋平にインタビューした。前編
僕と孤独と哲学と
東京大学で哲学を学び、市役所勤務、ライター、編集業を経てエシカルメディアで起業。
異色な経歴をもつ木村洋平さんにお話を伺った。
エピローグ
2023年9月某日。
中瀬は中古で購入したMacbookを前に頭を悩ませる。
その理由は、「取材を引き受けてくれる人探し」だ。
SDGsエンタメメディア「Kakueki!」の目玉記事として、なんとしても事業家とのコラボ記事を制作したい。
協力者を募りたいところだが、人脈がない。
どうしたものか。
他社のSDGsメディアを眺めていると、ふと「休止のお知らせ」という記事が目に入った。
世知辛い世の中だ。もう更新はしていないのだろうか。
しかし、すいぶんと興味深い情報が目に入る。
「東大で哲学を専攻、頭の中の自分と対話、エシカルメディアの運営・・・」
気がつくと中瀬は取材依頼のメールを送っていた。
そして30分後、一通の返信があった・・・取材決定。
本記事では、エシカルSTORYというSDGsメディアを運営する木村さんの取材を行いました。
東大で哲学を学び編集者として働きながら、どのようにSDGsメディア立上げに至ったのかインタビューしてみました!
そこには想像もできない波乱万丈な人生が・・・木村さんの人生を各駅停車しましょう!
木村 洋平
Kimura Yohei
編集者・エシカルSTORY代表
経歴
東京大学 教養学部 基礎科学科(科学史・科学哲学)を専攻。
作家・編集者・哲学者として数々の本の執筆及び制作に携わる。
2020年にSDGsメディア「エシカルSTORY」を立ち上げ。
哲学天才高校生木村、東大へ入学
中瀬:木村さん、本日はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます。
さっそく木村さんのこれまでの経歴をお伺いできればと思います。
木村さんの経歴を拝見したのですが、東大で哲学を学ばれていたんですね。
木村:最初に哲学に興味を持ったのは高校の頃で、本を元にした独学でした。
東京大学にはストレートで進学しました。今思えば運がいい学生時代ですね。1,2年は一般教養を学び、3年で法学部に進学するコース(文科一類)にいたのですが、「やっぱり哲学だなあ」と思い、進路振り分けで哲学の道に進みました。
東京大学に入学した天才高校生木村くんは、哲学の道に進むことを決めました。孤独と挑戦の大学時代が始まります・・・!
ビール片手に哲学。元天才高校生。
木村:当時の大学は今と違って出席を厳しくとることはありませんでした。単位も最後にプレゼンやテストがうまくいけばいい、というような。
そのため、真っ昼間から近くのカフェでビールを飲みながら仲間と議論しました。そんなことをしていると3,4限の授業の頃には酔っぱらってうまく意見が言えないみたいなこともありましたが、先生もそれを見て笑ってましたね。当時の大学はおおらかでした。
ん・・?想像していたより破天荒なエピソードが出て来たような。
木村:ところがゼミの教授と哲学の議論で衝突してしまったんですね。「木村君の卒論の面倒は見られないな」と言われてしまいました。
大学で学問をするというのは論文を書くということだと思うのですが、そのやり方で哲学に取り組むことは難しいと思った。それで作家として本を出すという形で哲学に関わるようになっていきました。
中瀬:卒業論文は哲学で書かなかったということでしょうか?
木村:卒論は歴史で、現代史をテーマに書きました。卒業はできたんですが、大学で哲学ができなかったのは不本意でした。
インタビュー序盤からアクセル全開でネタが出てくる木村さん。
木村:そのあとは地元である町田市の和光大学大学院に進学し、先生の助けもあって伸び伸びと修士生活を送りました。
その中で私の主軸は大学の研究や論文ではなく、余裕のある時間の中で本を書く作家活動に移っていきました。
作家活動では、ヴィトゲンシュタインという哲学者が出した書籍の翻訳や解説書を書きました。
新人が書いた本としては内容がしっかりしているということで評判はよかったですね。
木村さんの論理哲学論考の詳細はこちら
スーツで駆け回る哲学者
中瀬:学生時代には学問以外に課外活動などはしていましたか?
木村:当時はインカレサークルでイベントの運営をしていました。夏休みに大学生が200人くらい集まって、一週間泊まり込みでビジネスコンテストと政策立案コンテストをするんですよ。
当時はSDGsという言葉もなかったんですが、ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)を育てようという目的で。
中瀬:運営は大変でしたか。
木村:もうめちゃくちゃ忙しかった。企業から協賛金を2,000万くらい集めたり、社会人の協力者を募るため、授業そっちのけでスーツを着て走り回ってましたね。
アクティブすぎる哲学者、木村さんはスーツを来て都内を駆け巡っていました。この人、あまりにもパワフルすぎるよ・・・
中瀬:木村さんはどういった目的でその活動を行っていたんですか?
木村:私は高校の文化祭とかもすごい楽しくて、みんなで何かやるのが好きなんですよ。
当時はソーシャルアントレプレナーとかよく分かってなかったんだけど、「みんなが楽しめて世の役にも立つらしい」くらいの感覚でしたね笑。
なんか役に立ちそうだし、みんなが楽しめるならそれが一番いいじゃんと思って。
中瀬:そういうのいいですよね。私も会社を辞めて起業しましたが、共同創業者の大島と出会ったのは大学の部活なんですよ。
一緒にスポーツをしていたのが原体験となって、また一緒に新しいことやりたいと思って起業に繋がりました。
木村:仲間がいるのっていいですよね。
哲(鉄)人、木村さんに体調の変化が
木村:そんな忙しい生活をする中で、二十歳の頃にメンタル面から体調を崩してしまいました。それまでの学生時代は、東京大学に現役で合格し、スムーズに歩んでいました。しかし、ちょうど同じタイミングで、教授と衝突したり、インカレサークルで社会人顧問からパワハラを受けたり、苦労しましたね。
中瀬:そうなんですね。精神的な落ち込みは回復に時間がかかるイメージです。
木村:うつ病的な精神の落ち込みではなかったんですが、体が動かなくなっちゃって。
元々少し虚弱体質だった中で、自律神経系の調子が狂ったことで体力がガクンと落ちてしまった。メンタル的にはやる気に満ち溢れていて、哲学の研究とか旅行もしたかったけど体がついてこない感じでした。
中瀬:パワハラというのはどういったものを受けていたんですか?
木村:学生と企業をつなぐ社会人顧問の人とそりが合わなくて。いきなり電話がきて出たら怒鳴られるとか、夜10時過ぎに電話がかかってきて「明日の朝までにこの書類を印刷して全部発送しろ」みたいな。
中瀬:なるほど。体調を崩された後はどのように治していったんですか。
木村:散歩に行くとか、早く寝るとか、自炊して食事を整えるといった基本的な生活習慣を整える中で治っていきましたね。
ちなみに本人曰く、ここ10年間は自炊を続けているらしいよ。
木村:体が動かないっていうのも辛いけど、それ以上に大学で認められなかったのがショックだった。
命をかけて研究したいと思えるくらい哲学が好きだったけど、私の話に教授も先輩も白けた表情をしていました。「何言ってるか分かんない」みたいな。
中瀬:木村さんメンタル強い方なのかと思ってました。教授と議論を戦わせたりとか、周りが白けててもダメージ負わないというか。
木村:どちらかと言うと強い方だと思います。院生のゼミでレジュメを配って、「皆さんの言ってることはぜんぶ違うんだよ」みたいなことを言って。学部生の身分で、おこがましかったですが。
しかし、一年くらい経って教授から「木村君を受け入れるのは無理」と言われたときに、どこで学問の成果を発表すればいいのか分からなくなってしまった。孤独だね。
中瀬:孤独ですか。
木村:今もそうだけどね。20年くらいずっと。
中瀬:そこからSDGsメディアの運営に移っていくまでの間の期間は何をされていたんですか?
木村:そうですね、えっと…
順調に進んでいた木村さんの人生だったが、人間関係に悩む中で孤独を感じるようになる。
中編では、大学を卒業して社会人として働き始めた木村さんの人生を追いかけます。
中瀬:「安心して、俺はどんな厳しいことも耐えてみせるよ」
生ぬるい日常を送っていながら何を言っているんだ…フミッ
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