【スクープ】奇跡のバイタリスト、発見ー前編ー
奇跡のバイタリスト
逆転だらけの学生生活を送り、東南アジア旅行で価値観が激変。
プラントエンジニアとして海外を飛び回り、現在は大企業で働きながら外部で新規事業の立ち上げも行う。
バイタリティと面白さにあふれた逸材、発見いたしました。
▼目次
エピローグ
大島:社長!次のインタビューが決まりました!
中瀬:びっくりした!どんな人なん。
大島:この人です
中瀬:ふむふむ。
大島:何してる人だと思いますか?
中瀬:こんな感じの人結構いるからな。でも何かやり手の感じがするな。
大島:実はこの人、世界中を転々としながら日本の林業に革命を起こそうとしてますよ。
中瀬:マジか。ぜひ取材させていただきます!
吉井 拓史
Yoshii Hirofumi
イントレプレナー
経歴
横浜国立大学を卒業後、日揮ホールディングスに入社。
プラントエンジニアとして数々のプロジェクトにたずさわった後に、新規事業を担当する部署に異動。
経済産業省・JETROが主催する『始動 Next Innovator 2021』にてシリコンバレー派遣メンバーに選出。新産業の創出を目指すSUNDREDにてフォレストリバイタライズ産業の創出を行うなど、社外でも活躍している。
文化祭をジャック!ロックすぎる吉井少年。
中瀬:こんにちは、本日は取材を受けていただきありがとうございます。
まずは学生時代のお話から伺っていきたいと思います。
吉井:私は高知県の西側にある田舎町の出身なんです。地元の学校に行くと丸坊主にされるルールがあり、それが嫌で中学受験をして市内の中高一貫の私立に通っていました。
市内と西の田舎では方言が違うこともあり、少し馬鹿にされてましたね笑
中瀬:部活などは何をされてたんですか?
吉井:入学して仲良くなった友達と一緒にテニス部に入りました。2年生のクラスにバスケ部の子が多かったので自分もバスケ部に転部しました。
中瀬:結構部活を転々としてますね笑
吉井:テニス部もバスケ部もまじめに行ってないんですけどね。
吉井さんは中学生のときに夢中になったことはあるのかな?
吉井:あとバンドも組んでましたね。
学校の文化祭をジャックしたこともありますよ。体育館の電気を落としていきなりロックを弾き始めるみたいな。
誰も知らないアメリカの古いロックミュージックを演奏したので、全然盛り上がらなかったんですけどね笑
中瀬:めちゃくちゃじゃないっすか笑
ちなみに、少年吉井は後でめちゃくちゃ先生に怒られたよ
E判定からまさかの合格。逆転しかできない男
中瀬:高校に入ってからもバンドしてたんですか。
吉井:いや、結構めちゃくちゃしたのでもういいかなって感じでやめたんですよ。それで陸上部に入りました。
中瀬:横浜国立大学に入られてるので、どこかのタイミングでしっかりと勉強されたのかなと思うんですが。
吉井:私、中学受験で本来受かるはずのないレベルから合格したんですよ。大学受験も似たような感じで、センター試験はボロボロでE判定だったんですけど何とか挽回できて合格しました。
見事E判定から逆転合格!ちなみに横浜国立大学を受けた理由は名前がかっこよかったかららしい。だいぶ適当だね。
中瀬:奇跡的に合格したあとの大学生活はめちゃくちゃ楽しそうですね。
吉井:いや、こんな感じで入っちゃって申し訳ないなと思い、大学では結構真面目に講義受けてましたね。
中瀬:割と真面目な学生生活だったんですね。サークル活動とかはしてたんですか?
吉井:テニサーに入ってました。
中瀬:大学ではテニスしながら真面目に講義受けてたと。
中学時代に暴れてたバンド活動は、もうその後やることはなかったんですか?
吉井:やってました笑
中瀬:大学ではどんなバンドだったんですか笑
吉井:大学ではメタルバンドを組んで叫びまくってました。メンバーがそういうのが好きで、流されるままに。
中瀬:結構周りのノリで決めることが多いですね。
吉井:周りの流れに乗っちゃうんですよね笑
なんで周りの流れに乗った結果がメタルバンドなんだ
中瀬:ちなみに、大学院には行かれてたんですか?
吉井:行きました。講義をまじめに受けていた甲斐があり、試験なしでいけたので、これは楽だと思いそのまま行きました。
中瀬:学部と大学院ではどの様な研究をされていたんですか?
吉井:学部ではケミカルヒートポンプの研究をして、院ではシリコンウエハーの洗浄装置の解析をしていました。
ん?急にかっこよく見えてきたな(ゴシゴシ)
中瀬:それは今の仕事に役立ちましたか?
吉井:いや、全く使うシーンはないですね。日揮では制御システムを設計する部署に入ったのですが、どちらかと言うと電気や機械系の仕事内容なので、ほとんど役に立ってないです。
人生の転機、東南アジア旅行。
中瀬:学生時代には、どのようなキャリアにしようというビジョンはありましたか?
吉井:田舎から都会に出てきてそれで満足してしまって、安全な日本に一生いようと思ってました。
しかしある日、バンド仲間の一人が海外にバックパッカーに行きたいと言い出して。面白そうだと思い一緒に東南アジアに行ったんですよ。
最初にタイに行って、そこから東南アジアを陸路で1周して、またタイに戻ってくるルートでした。
バックパッカーとは、大きなバックパック(リュックサック)一つで行く旅行のこと。
格安で自由に楽しめるのが醍醐味!
中瀬:いいですね!めちゃくちゃ楽しそうじゃないですか。
吉井:この経験でかなり人生観が変わりました。
老若男女、いろんな文化の人、いろんな国の人と話をしていて、こんなに考え方が違うんだなと感じて。人が考えることなんて大体予想できるだろうと思っていたのですが、そんなことないと気づきました。
ここから海外で働くことに興味が湧き、日揮を受けることにしました。
中瀬:海外に行きたいというか、知りたいっていうのが大きかったんですね。
学生時代の話を聞いて、人に流されやすいタイプなのかな?と思ったんですが、好奇心故の道のりかもしれないですね。
命がけ?!片道20分の梯子登り
中瀬:制御系の部署に配属に配属されたという話がありましたが、本望じゃなかったのか、まぁ仕方ないなと思ったかでいうとどちらでしたか?
吉井:最初は何をする部署なのか分からなかったので、そんなに反発することもなかったですね。大学での研究がそのまま日揮で活かせるとは思ってなかったので、とりあえずやってみようかなって感じでした。
1年目からシンガポールに海外駐在だったので、考える余裕もなかったですね。気が付いたら3年目になってました。
中瀬:シンガポールでは何をされてたんですか?
吉井:元々サウジアラビアのプロジェクトで、プラントを制御運転する装置の設計をしていました。
装置の設計をシンガポールでするんですよ。シンガポールの工場で装置を作り、サウジアラビアに送って、その装置がうまく動くかなどの確認をするんです。
中瀬:なんかガリガリな理系職の感じがしますね。正直自分には厳しいなと思っちゃいました笑
吉井:まぁ流されるままにやってます笑
でも、この仕事はかなり泥臭い仕事なんですよ。
中瀬:どのような仕事なんですか?
吉井:サウジアラビアの現場では、これからシステムを入れる部屋にはエアコンなんてついて無いんです。灼熱の中、汗ダラダラかいて、紙の図面をビチョビチョにしながら作業するんですよ笑
外でも作業するんですけど、計測機器がタワーの地上20メートルの箇所に付いていたりして、梯子で片道30分かけて登ったりしてました。
幼少期は坊主を嫌がっていた吉井さんだったが、サウジアラビアの現場に駐在した時は坊主にしていた模様
中瀬:たしかに現場仕事って感じですね。
吉井:本当に。おまけに僕は命綱なしで登ってたんですよ。
タワーとかだと汗で手が滑ったら死にますからね笑
登っているときに下を見ると「あ、落ちたら死んじゃうな」という感じで笑
笑い事じゃない…
中瀬:タワー登った人にしか見れない景色がありそうですね。
吉井:そうですね。本当に絶景でしたよ。
中瀬:いいですね、そういうの。登った人にしか分からない自分だけの楽しみみたいで。
シンガポールからサウジアラビアでの2年を経て、そのあとのキャリアはどのように推移していったんですか?
吉井:同じようなプロジェクトを4回経験しました。一つのプロジェクトが3、4年なのでちょうどオリンピックと同じような周期でしてました。
中瀬:プラントエンジニアリングの仕事で一番大切だと思うことはなんですか?
吉井:知識をたくさんつけるというよりは、どれだけ上手くいろんな人と協力しながら仕事を回せるかが大切ですね。
日揮は実際の製造は担当していなくて、プロジェクトマネージャーとして入ります。プラント建設には多くのメーカーや色々な国の人が関わるのでコミュニケーションはとても大事です。
ずっと海外飛び回ってる男がまさかの結婚!?
中瀬:プロジェクトを4回も経験したらかなりの経験値を積まれたんじゃないですか?
吉井:そうなんですよ。現場も回せるようになって、その先の自分の姿が見えてくるようになりました。
また新たなプロジェクトに入って、そのうちマネージャーになって、みたいな。一生同じことをするより、全く違うことに挑戦するキャリアを考え始めました。
中瀬:そうだったのですね。たしかに先が予測できると波風も立たず退屈してしまいそうですが。
吉井:精神的な波で言うと、海外に行きまくってたので常に波はありましたよ。海外から帰ってきて次はどこに行されるんだみたいな感じで。
中瀬:結構大変なんですね。海外赴任が多いと結婚などのライフイベントにも関わりそうです。
吉井:やはり負担はありましたね。家族もいますし。
ただ、飽き性な私がこれだけ長く同じ会社で働き続けられたのは海外に行きまくってたからだと思います。何も知らない所に一人で行かされて、一から人間関係を築いたりして良い刺激を受けていたので。
中瀬:ご家族がいらっしゃるんですね。ご結婚はいつされたんですか?
吉井:最初の海外赴任(シンガポール~サウジアラビア)での2年が終わってすぐですね。
奥さんと初めて知り合ったのは、シンガポールに半年行って帰ってきた際に同期が開いてくれた合コンだったんですよ。日本にいられるのは一か月ぐらいだったので、毎週彼女と会ったとしても3回しか会えなくて。
日本を発つ直前に「お付き合いお願いします!でも来週から日本にいません!」と告白して始まりました笑
中瀬:笑笑
吉井さんとしてはそれしか方法はないよねえ。
吉井:基本海外にいる生活でしたが、日本に帰ってきた際には会ってましたね。1年半ぐらいお付き合いして結婚したんですけど、一緒にいたのは実質数週間ぐらいでした笑
中瀬:そんな感じで結婚されたんですね。 結婚後も吉井さんは海外にいてあまり家族と会えなかったんですか?
吉井:そうですね。結婚して1、2年は日本に居たんですけど子供が生まれた頃ぐらいにまた海外に行ってました。
中瀬:海外飛び回る仕事って楽しそうに聞こえますけど、家庭のこととか考えるとめちゃくちゃ大変そうですね。
吉井:そこからの人生ですが…
後編では吉井さんの新規事業の立ち上げについて迫っていきます。
ユニークな吉井さんが考える新規事業、楽しみしかない…!
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